◆京の歴史と文化と人物 【スサノヲの京都学】 京都ブログ

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◆神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(四)

 

 

◆神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(四)

◆◇◆神在月と神在祭、出雲大社の神在祭、出雲に神々が集う

 神在月の期間に出雲地方の多くの神社で行われるさまざまな神事を神在祭(俗に「お忌みさん」)と呼ぶ。神在祭の中でも旧暦の十月十日から始まる出雲大社の神迎祭(※注1)(※注2)、十一月二十日から始まる佐太神社の神迎祭、十一月二十六日の万九千神社の神等去出祭(からさでさい)がよく知られている。このほかにも、旧暦の十月一日に朝山神社で神迎祭が行われるほか、神魂神社、日御御碕神社、多賀神社などでも神在祭に関わる神事が行われている(※注3)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※1)旧暦十月、出雲では日本各地から集まる神さまをお迎えする「神在祭」が行われる。出雲大社では、旧暦十月十日の夜、海の彼方から依り来る諸神たちを神籬に迎えて本社に帰参し、本殿両側の十九社に鎮める「神迎祭」から始まる。神々はこの期間そこに滞在され、会議は境外の海岸に近い上ノ宮で行うそうだ。今ではこの期間でも奏楽をするが、本来は静謐を第一とし、さまざまな社中法度があった。ことに最後の旧暦十七日夜は「神等去出(からさらで)」といい、社中のみならず周辺の住民も忌み慎み、夜に外便所へいけばカラサラデさんに尻を撫でられるなどといわれている。

 この「お忌みさん」の信仰は出雲大社の周辺のみならず出雲のほぼ一円にあり、関係する神社も佐太神社・神魂神社・朝山神社・万九千社など数社に及び、神々はこのひと月をかけてこれらの神社を巡回されるという伝承も成立した(神々来臨の目的は各社各様です)。神在祭が終わって十一月二十三日の夜からは、出雲大社では最大の古伝新嘗祭が行われる。

(※注2)出雲大社が縁結びの神といわれるようになったのは、少なくとも近世中葉にはそういわれていたようである(井原西鶴の『世間胸算用』に「出雲は仲人の神」という言葉が見える)。しかし古くはむしろ福の神であって、狂言の『節分』や『福の神』にはその思想が窺える。

 出雲へ旧暦十月に諸国の諸神が参集するということは、すでに平安末期の藤原清輔の歌学書『奥儀抄』に「十月天下のもろもろの神、出雲国にゆきてこと国に神なき故にかみなし月といふをあやまれり」とあり、また鎌倉時代末期の『徒然草』に「十月を神無月と云て、神事に憚るべきよしは、記したる物なし。本文も見えず。但、当月、諸社の祭なき故に、この名あるか。この月、万の神達太神宮へ集り給ふなど云説あれども、その本説なし」とある。それが何処まで遡れる伝承かは明らかではない。

(※注3)出雲国は他の諸国と比べて特別な宗教性があったようだ。他の風土記に神社の記事が極めて少ないのに対し、『出雲国風土記』(天平五年・七三三年)では、各郡各郷ごとに特別に詳記され、またその数も、中央の神祇官に登録されたものが百八十四社、それ以外のものが二百十五社、合計三百九十九社(神庭荒神谷遺跡で出土した銅剣数、三百五十八本と関係がありそうだ)もある。

 平安時代の『延喜式』(延喜五年〜延長五年)になると、この官登録の百八十四社に三社を加えた百八十七社(座)が式内社となっている。その数は隣の因幡国の五十座、伯耆国の六座、石見国の三十四座に比べて、ケタ外れに多いのだ。畿内の山城国百二十二座、大和国二百八十六座、伊勢国二百五十二座など、一級クラスと肩を並べるものである。

 山城国や大和国に官社が多いのは、政治の中心がそこにあったからで、その地の宗教性とは無関係であるし、伊勢国は神宮との関係が深いからだと考えられる。しかし、出雲に官社の数がこれほど多いのは、朝廷と特別な親近関係があったというよりは、出雲独自の宗教的性格の故であると考えられる。


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◆神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(三)

 

 

◆神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(三)

◆◇◆神在月と神在祭、旧暦十月出雲に神々が集う

 旧暦十月の和名は「神無月(かんなづき)」(「神去月(かみさりづき)」)(※注1)という。日本のここかしこに居られる八百万の神々が、年に一度、出雲に集まるため、「神さまがいなくなる月=神無月」(※注2)と名付けられたそうだ。日本全国が神無月でも、出雲では「神在月」となるのである(神在月の期間には毎年決まって激しい北西の季節風が吹き、海では波が荒れ、島根半島の海岸部に錦紋小蛇=南方産のセグロウミヘビの一種が現れる)。

 出雲に集まった神々は、人には計り知ることのできない諸般の事ごとをお決めになるのである(神議り=かむはかり)。翌年の酒造りや男女の縁結びも、このとき決まるといわれる(神々は出雲に参集して会議を行うほか、舟遊びをしたり、漁労や収穫の検分をしたりと、さまざまな伝承が残されている)(※注3)。

 出雲大社では旧暦十月十日の夜、全国から八百万の神々が集まるのをお迎えするため「神迎神事」(竜蛇神迎えの神事)が厳かに営まれる(出雲大社では二〇〇六年十一月三十日の午後七時から大社町杵築北の稲佐の浜で営まれる。この神事を営まないと、神在祭は始まらないのだ)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)旧暦十月は、神無月(かんなづき)と呼ばれる。全国の神々が出雲の国に集まって、地域の神々が留守になるので「神無し月」と呼ばれるのが一般的である。神無月の由来については、その他さまざまな説がある。まず、一つ目は、陰陽説からくるものである。陰陽説で神は陽であり、十月は陽の気がない極陰の月とされる。つまり「陽(かみ)無月」が「神無月(かんなづき)」に転化したという説だ。

 また、陰神とられるイザナミ尊が、出雲で崩御したのは十月なので、「(母)神の無い月」という考え方もある。二つ目は、神無月は「神嘗(かんなめ)月」が転化したという説である。神嘗は新穀を神に捧げることである。十月はこの神嘗のための月という解釈だ。また、十月は翌月の新嘗の設けに、新酒を醸す月、つまり「醸成(かみなん)月」の意から来ている月名で、「神無月」は当字だとしている説もある。

(※注2)また、神無月(かんなづき)の旧暦十月は全般に行事や神事が少ないため、旧暦十一月に行われる稲の収穫祭「霜月祭」のための、物忌みの期間なのではないかという説がある。また稲作の神さま(田の神さま)が、秋になると山に帰って山の神さまになるという信仰から行われる「神送り」がありますが(地域によって神送りの日程が異なるのは、収穫時期の相違が反映していると考えられる)、この「神送り」で、本来は山に帰るはずの神さまが、出雲信仰と結びつき出雲に行くことになったとする説もある。

(※注3)一体、神々は出雲の地に集って一体何を話されるのであろうか? 「神事(幽業、かみごと)、すなわち人には予めそれとは知ることのできぬ人生諸般の事ごもを神議り(かむはかり)にかけて決められる」と信じられている。要するに、むこう一年間の人々の全ての縁について決める、というのだ。ですから、一般的に言われている「縁結びの神様」は、別に男女の縁だけを言ったものではないのである。しかし、神々来臨の目的は各社各様だ。


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◆神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(二)

 

 

◆神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(二)

◆◇◆古代出雲は神話の源郷、八雲立つ出雲の国

 八雲立つ出雲の国は、空と陸と海とが互いに映えあう見事な風土である(※注1)。この風土を背景に、多彩な出雲の神々が誕生し縦横無尽に活動させたのだ。出雲には神話や伝承の舞台とされる場所が数多く残されている。これらの神話・伝承を、拙速に歴史的事実と混同することは厳に慎むべきことだが、しかし出雲の風土(文化的風土)はそうした神話や伝承の世界(神話は生活共同体の中で共同認識に基づいて生じたものであり、共同体の信仰がなければ消滅してしまう集団表象。古代の人々が何に感応し、何を価値として生きていたかが見える)が、そこここに(※注2)生き続けているような不思議なリアリティをもって迫ってくる(※注3)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)出雲の国の自然は、北から半島・湖沼・平野・山地と見事に配置されている。出雲の国はこれらが互いに照応しながら出雲の国の独自な風土を作り出している。出雲の国はむくむくと雲の湧き立つのが極めて印象的な国だ。
 寄り来る波に洗われる島根半島には、対馬海流が遥か彼方から南方の文化をもたらす。入海・内海や潟港は、古代には外来の文化が留まる良港であった。東の意宇平野と西の杵築平野には五穀を稔らせる狭いが肥沃な平野がある。その背後に横たわる深い山地には良質な砂鉄を産す。

(※注2)黄泉国訪問神話の伊賦夜坂・猪目洞窟、八俣大蛇退治神話の斐伊川・船通山、国譲り神話の稲佐の浜、美保神社の諸手船神事・青柴垣神事などや、国引き神話の島根半島・三瓶山・大山、佐太大神誕生神話の加賀の潜戸、カンナビ信仰の茶臼山・朝日山・大船山・仏経山、神在月の神迎祭・神在祭・神等去出祭などに生き続けている。

 特に『出雲国風土記』が伝える出雲の神々は、出雲の風土と照応して個性豊かな姿を見せてくれる(出雲の風土がそのまま人格神となったような面影を見せます。『記・紀』神話に出てこない独立神が十四柱もいます)。また、出雲のあちこちには古い伝統をもつ神社があり、古くから信仰があったことを窺わせる(熊野大神、野城大神、佐太大神といった大神伝承、出雲宗教王国の源流)。

(※注3)日本に魅せられ、神話の地・出雲に住み着いて日本研究に生涯を捧げたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、『日本印象記』の中で、「神道の真髄は書籍にも儀式にも法律にも存しない。ただ、国民的心情の中に活きて永存して居るばかりである。そこに国民のあらゆる全部の魂、偉大なる霊力が潜在して震えつつある。この魂が遺伝し、内在し、無意識的、本能的に働いているのが、神道である。神道を解するには、この神秘な魂を知らなくてはならぬ」と述べている。

 また、ハーンは『杵築』というエッセーの中で、出雲大社の最高祀官・出雲国造と対面した感想を、「古代ギリシャのエレウシスの秘儀を司る最高官(人の生死の秘密を知り、その再生の秘儀に携わる神官)」を思わせると、そのときの印象を感動的に述べています。さらに「杵築を見るということは、とりもなおさず今日なお生きている神道の中心を見るということ、・・・悠久な古代信仰の脈拍にふれることになる」と述べている。


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◆神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(一)

 

 

◆神在月と神在祭、古代出雲王国の謎(一)

◆◇◆神々の国・出雲と環日本海文化圏の中心地・出雲

 初冬の旧暦十月、島根県・島根半島の西端の稲佐の浜で、神秘的で厳粛な神事が行われる(※注1)。全国の八百万の神々がこぞって出雲に参集して神議りをするという(神迎祭・神在祭・神等去出祭)。そこから、旧暦十月を出雲では「神在月」と呼び、他では「神無月」と呼ぶ。八雲立つ出雲の国は、神話の風景と懐かしい心の故郷を感じさせる、神々が集う国(古代が息づく神々の国・神話の国)なのだ(※注2)。

 明治二十三年(一八九〇年)に来日し、伝統的な日本文化を研究したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、「出雲は、わけても神々の国」「民族揺籃の地」であると述べている。出雲は古代日本の歴史と文化の重要な地(大和朝廷と出雲の緊張関係、国譲り神話に秘められた歴史的背景、倭建命の出雲建征討・出雲振根と飯入根の説話)であり、独自な歴史と文化を持ち続けた地(神庭荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡、巨木文化を伝える出雲大社・四隅突出型墳丘墓、管玉・勾玉などの玉作り文化)でもあった。

 出雲の神話(『出雲国風土記』の国引き神話など)や文化(出雲系信仰と習俗など、出雲は宗教王国)を出雲という一地方のローカルな歴史と文化としてみるだけでなく、環日本海文化圏というグローバルな視点から見ると、出雲が日本海沿岸の国や地方と強く深く交流をもっていた先進の文化を持つ国(古代出雲王国)であったことを窺い知ることができる(※注3)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)神迎祭の旧暦十月、稲佐の浜にセグロウミヘビの一種が打ち寄せられる。この海蛇は「竜蛇様」(石見地方では神陀=ジンダと呼ぶ。常世国から依り来るマレビト神)と崇められ、三方に載せて恭しく出雲大社に奉納される(上がった浜ごとに佐太神社、日御御碕神社、美保神社に奉納される)。神々が、海の彼方から続々と上陸してくるという、壮大な海辺の神秘的祭りだ。

(※注2)出雲に関する神話は非常に多く、一般には「出雲神話」と総称されている。しかし、この出雲神話という呼び方には多少問題がありそうだ。というのも、出雲の神話といっても『古事記』『日本書紀』の他にも、『出雲国風土記』『出雲国造神賀詞』などさまざまな文献に記載されている。これらすべてをひとまとめにして扱っていいものか、慎重な検討が必要のようである。

 『古事記』『日本書紀』の朝廷によってまとめられた出雲の神話を「出雲系神話」とも呼ぶ。出雲系神話は記・紀神話の三分の一以上にあたるとされ、とても大きなウェイトを占めており、内容的にも魅力的な物語がたくさん含まれ、最後には「国譲り神話」へと収斂していくのだ。

 それに対して、『出雲国風土記』『出雲国造神賀詞』の在地でまとめられた出雲の神話を「出雲神話」とも呼ぶ。地名由来伝承に関わるものが多く、『記・紀』にはない「国引き」神話などがあり、またスサノヲ命やオホナムチ命の姿も違い、神話の質的相違を感じる。

(※注3)神庭荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡などの考古学的発見は、ヤマト政権に対抗しうるような高い技術力と独自の文化を持ち、古代日本のなかで、重要な役割を果たしてきた古代王国があったことを裏付けている(青銅器の国)。また、出雲では良質の砂鉄が採れ、古代より鉄生産は行われていた(製鉄の国)。


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 安来鋼(ヤスキハガネ)というのが出雲最東部付近で今でも生産されていますが、金属加工業界ではいまだに絶大なブランド力をもつ高級特殊鋼です。
 それも調べていくと、古代出雲の歴史につながるという説が色々あるみたいです。

[ 安吾 ] 2008/04/28 7:11:20 [ 削除 ] [ 通報 ]

そういえば司馬遼太郎氏が「街道を行く(砂鉄の道)」を取材しているとき、鉄の神といわれる金屋子神社(島根県安来市)を参拝したのだが、この神社の風情が中世的であることを残念がっていた。スサノオ神話より想定される古代鉄の古さとでその手がかりを、掴みたかったのかもしれない。地元のものが「ここは戦国時代、尼子と毛利の激戦があって古いものが多く消失した。」との説明に少し残念そうにしていたと日立金属のかたから伺ったことがある。
しかし、最近この地域で弥生時代の鉄器が多数発掘されその量も北九州に準ずるものだという。その時代は実は大和は鉄器がほとんど発掘されておらず、この地がいかに先進地域だったかをうかがわせる話で生きていれば司馬遼太郎氏もさぞ喜んだことだろうと思われます。

[ ミスミニトマト ] 2008/06/01 17:58:45 [ 削除 ] [ 通報 ]

 わたしは、この前ブリジストン美術館へいって日本近代絵画史に燦然と輝く青木繁の「海の幸」をみていたところ、ふと懐かしい感触がありました。
 よく思い出すと、私の郷里安来市は出雲風土記の頃、娘と殺された父がサメ退治をしたと書いてあったことを学校でならった記憶が蘇ったからです。そんなことを考えながら古代のロマンに浸っておりました。

[ 大同信長 ] 2008/07/01 22:53:43 [ 削除 ] [ 通報 ]

 最近、安来には今でも先端技術を駆使した鉄鋼材料の開発能力があると聞いたとき、吉野裕氏のスサノオ鉄神論をふと思い浮かべて一人悦に入っていました。不思議なつながりですね。

[ 今秦同 ] 2008/08/13 23:18:11 [ 削除 ] [ 通報 ]

いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な出雲の青銅器時代がおわり四隅突出墳丘墓が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と安来の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。

[ 永田 ] 2008/10/12 14:23:41 [ 削除 ] [ 通報 ]

今年5月、日立安来で海綿鉄プラントのラストサムライが定年になられるそうですね。日立安来OBには、神風特攻隊のパイロットもいらっしゃったとか。凄い伝統ですね。

[ 東京練馬区 ] 2015/10/26 22:47:39 [ 削除 ] [ 通報 ]

日立安来OBの知覧飛行場出身。アーク炉の大先輩。海綿鉄のラストサムライ。アーク炉で白銑塊溶解。涙が出るほど、衝撃だ。

[ 桑田 ] 2016/02/17 22:47:56 [ 削除 ] [ 通報 ]

海綿鉄のアーク炉で溶解するには、熟練の技能を要しますね。

[ 田中 ] 2016/02/19 18:27:04 [ 削除 ] [ 通報 ]

そのとおりです。

[ 電気炉従事者 ] 2016/02/19 18:29:29 [ 削除 ] [ 通報 ]

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◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(十二)

 

 

◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(十二)

◆◇◆島根県八束郡・佐太神社、佐陀神能:スサノオ命とヤマタノオロチ(4)

 さらに、『記・紀』の中のスサノヲ命(高天原で乱暴狼藉を働いた荒ぶる神)と、『出雲国風土記』の中のスサノヲ命(飯石郡須佐郷を拠点とする呪術的性格を持つ牧歌的な神・おおらか農耕神)の性格は、まったく異なっている。

 すると、元々のスサノヲ命は、『出雲国風土記』にみられる性格の神であり、『記・紀』神話に取り込まれる際に、スサノヲ命の武神的な御子神(出雲地方の鍛剣の業に従事した人たちが奉斎していた神・ツルギ命は、スサノヲ命の御子神・ツルギヒコ命=都留支日子命とされる)たちの性格を加味して、新たなスサノヲ命が形成されたとも考えられるのだが・・・。

 また渡来の神(新羅の蕃神、『日本書紀』一書には新羅のソシモリ=曾尸茂利に降りたとする記述がある)とする説もあり、韓鍛冶部(からかぬちべ)が奉じていた新羅の巫覡神が土着して須佐の神となったのであろうか・・・。まったくの蕃神(渡来の神)ではなく、出雲土着の神と新羅の巫覡神が結び付いたためであろうか(韓土と往来していた紀伊の海人によるものであろうか)・・・。

 また、「スサノヲ」という名前についても古来幾多の解釈がなされてきた。スサついては、『出雲国風土記』の飯石郡須佐郷には、「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名を石や木に留めるのではなく、土地の名に留めよ」とあり、スサノヲは須佐の土地の男としている。

 また、スサノヲのスサは荒れすさぶる男という意味を込めているとする国学の本居宣長の説もある(スサという言葉の響きが「すさぶる」を連想させ、高天原で乱暴狼藉を働く出雲系の神とする物語が作られたのかもしれない。そうすることにより、朝廷はオオクニヌシ命をスサノヲ命の子孫として位置付けることができるのである)。

 他には、スサノヲのスサは朝鮮語で巫の意味で、シャーマン(古来より、シャーマンと鍛冶部は関連がありそうだ)を表すススングに由来するとし、ススングがスサヲとなったとしている(渡来した鉄の神)。

 つまり、スサノヲ命は朝鮮半島から渡来した新羅系の蕃神(外来神)であり、飯石郡須佐がスサノヲ命の出雲における本貫地であるとするものである。そこから、スサノヲ命を祖神とする集団の勢力が大原郡・神門郡へ伸び、一部意宇郡や島根郡へと及んだとしている。


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◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(十一)

 

 

◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(十一)

◆◇◆島根県八束郡・佐太神社、佐陀神能:スサノヲ命とヤマタノオロチ(3)

 『記・紀』神話のなかで、これほど大きく取り上げているヤマタノオロチ(八俣大蛇)退治の説話であるはずなのに、『出雲国風土記』には、一行も記されていない。ヤマタノオロチ(八俣大蛇)退治の説話が出雲地方を舞台(『古事記』は「故、避追はえて、出雲国の肥の河上、名は鳥髪といふ地に降りましき。」と記す)とする説話であるとするならば、『出雲国風土記』に記載が見られないことは、不思議である(『記・紀』の神話作者の造作とする説もあるが、『記・紀』にあって『出雲国風土記』にないという説話は、オホナムヂ命の根の国訪問など結構たくさんある。これについては、『記・紀』に記されているものを意識的に省いたとする説もあるが)。

 しかし、『出雲国風土記』には、「所造天下大神」と讃えられたオホナムヂ命(大穴牟遅命・大穴持命)による越の八口平定の説話がある。但し、この説話の主人公はスサノヲ命でなく、また八口は地名と考えられており、『記・紀』神話と同レベルで扱うことは出来ないようだ。

 神話学者(比較神話学)の松前健氏は、「私は、この大蛇退治譚は、やはり出雲固有の風土伝承であったと思っている。『出雲国風土記』にはこの説話自体は出てこないが、この話と切り離せない、クシイナダヒメの名と類似のクシイナダミトヨマヌラヒメという女神の名が、八岐大蛇譚にゆかりの斐伊川沿いの飯石群熊谷郷の条に出てくる。同じ郡に、スサノヲゆかりの例の須佐の地がある。この女神の名の意味はわからないが、クシイナダヒメの別名であることは間違いあるまい。クシイナダヒメが“神秘な稲田の女神”を意味することは、いろいろな筆者の論じるところである。この大蛇退治譚の話は、出雲地方で盛んな龍蛇崇拝と農耕の結びついた信仰行事から出ている。山陰地方の田の神サンバイは、往々蛇体と伝えられているし、田植歌には、稲の女神イナヅルヒメとの婚姻が歌われている。(中略)飯石群熊谷郷には、古く稲田の女神と水の神の大蛇の神婚伝承が語られ、祭りが祝われていたのを、スサノヲの崇拝が入り込んで、これを包摂し、その意味を変え、民間に流布する人身御供譚をその由来譚として採用したのであろう」と話している。


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◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(十)

 

 

◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(十)

◆◇◆島根県八束郡・佐太神社、佐陀神能:スサノヲ命とヤマタノオロチ(2)

 スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)は高天原を追放され、出雲国の肥の河上の鳥髪(船通山、一一四三メートル、大砂鉄地帯)という地に降ったと『古事記』は記している。ただ、『日本書紀』一書には、安芸の可愛(え)の河上に降ったとしたり、新羅のソシモリ(曾尸茂利)に降り、そこから船で日本の紀伊に渡るとし、また別の一書では、クマナリ(熊成)峯から根の国に渡ったとする異説を収録している。

 また、『日本書紀』一書は、スサノヲ命は、長雨の降る中を蓑笠姿で彷徨い歩いたが、どこの家も留めてくれるところがなく、スサノヲ命の辛苦難渋の流浪の様子を描いている(『備後国風土記』逸文では、蘇民将来の説話として登場する。沖縄にも類似の説話がある)。

 出雲の肥の河上の鳥髪に降ったスサノヲ命は、斐伊川を流れる箸をみて、上流に人がいると知り尋ねてみると、そこには国つ神・大山津見神の子でアシナズチ(足名椎・脚摩乳)、テナズチ(手名椎・手摩乳)の老いた夫婦とその娘のクシナダヒメ命(櫛名田比売・奇稲田姫命)が嘆き悲しんでいた。

 そこで、スサノヲ命はヤマタノオロチ(八俣大蛇=八岐大蛇=八俣遠呂智)の生贄にされようとしていたクシナダヒメ命を助けようとする。スサノヲ命はヤマタノオロチを酒に酔わせ、眠らせておいて十拳剣で斬り殺し、肥の川は血に変わったという。

 大蛇の尾を切り裂いたところ、霊剣・草薙剣(草那芸の大刀・都牟刈の大刀)が出てきたので、姉神であるアマテラス(天照大御神)に献上し、これが後の三種の神器の一つになったという。

 スサノオ命は、クシナダヒメ命と結婚をして、出雲の須我(須賀)に宮殿を造って住む。このとき、「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」という有名な歌を作ったという。また、この二人の間にもうけた子孫が大国主命であるとしている。

 このように、『古事記』に描かれたヤマタノオロチ(八俣大蛇=八岐大蛇=八俣遠呂智)は、凄まじい形容で描かれる(『古事記』は「是の高志の八俣のをろち年毎に来て喫へり。今、其の来べき時なるが故泣く。」・・・「彼の目は赤かがちの如くして、身一つに八頭・八尾有り。亦其の身に蘿及檜・椙生ひ、其の長谿八谷・峡八尾に度りて、其の腹を見れば悉に常に血爛れたり」と記す)。これは一体何を象徴しているのであろうか。

 この解釈については、斐伊川が鉄穴(かんな)流しによって水が赤く濁ったとする説、斐伊川の姿(蛇体の水の精霊)を表しているとする説(竜神に人柱として生贄を捧げていたが、治水開拓にすぐれた英雄神が河川を治めた)、出雲での蛇祭を表しているとする説、大和政権からみた出雲のイメージとする説、高志(北陸地方)人の首長であるとする説、中国山脈の鉄山と鍛冶部(かぬちべ=タタラと呼ばれる漂泊的採鉱冶金鍛冶集団)であるとする説、あるいは、シベリアのオロチ族であるとする説など、じつに様々な説がある。

 他にも、もともとは「怪物と人身御供」の説話ではなく、蛇体の水神と稲田の女神との神婚説話に、新たに人間的英雄神説話「ペルセウス・アンドロメダ型説話」が包摂したとする説もある。


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◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(九)

 

 

◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(九)

◆◇◆島根県八束郡・佐太神社、佐陀神能:スサノヲ命とヤマタノオロチ(1)

 日本の代表的な神事芸能「神楽(かぐら)」として「佐陀神能(さだしんのう)」(島根県鹿島町の佐太神社に江戸初期から伝わるという国の重要無形民俗文化財)(※注1)と、そこから派生し、よりエンターテイメント性豊かになった広島県高田郡周辺に伝わる「芸北神楽(げいほくかぐら)」(※注2)がある。

 囃子や謡などに能の形式を取り入れた「佐陀神能」は、スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)のヤマタノオロチ(八俣大蛇=八岐大蛇=八俣遠呂智)退治に題材をとった「八重垣(やえがき)」のほか、「大社(おおやしろ)」「大和武(やまとたけ)」などを演ずる。

 また「芸北神楽)」は、巨大な面、赤や緑の極彩色の衣装など、スペクタクルな演出が特徴だ。佐陀神能の「八重垣」と同じくヤマタノオロチ退治を描いた「八岐大蛇(やまたのおろち)」では、スサノヲ命とヤマタノオロチの迫力たっぷりの対決が圧巻である(口から火を噴き、暴れ回る長さ十メートルもの巨大な大蛇に、真っ向からスサノヲ命が剣で立ち向かう)。

 神楽は、神を招き、その魂を鎮めるのを目的とした神事芸能である。「佐陀神能」と「芸北神楽」は、神話の世界を題材に演劇的な「神能」を演じるところに特徴のある出雲流神楽の流れを汲むものだ。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)「佐陀神能」は、島根県鹿島町・佐太神社の氏子を中心に伝承されてきた。江戸初期には成立していたという。鈴・剣・茣蓙(ござ)などを手にもって舞う採物舞「七座」「式三番」「神能」の三部構成で、囃子・謡・所作などに能の形式を取り入れている。

(※注2)「芸北神楽」は、そこから派生し、変化していった神楽で、広島県高田郡周辺に伝わっている。巨体な面、鮮やかな色彩の装束、口から火を噴く仕掛け、そして長さ十メートルにもなる大蛇など、スペクタクルに溢れており、庶民に親しまれる演出がなされている。


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◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(八)

 

 

◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(八)

◆◇◆島根県八束郡・佐太神社、お忌み祭(神在祭)(3)

 佐太神社(※注1)では、十一月二十日(神迎え)、南北の出入り口のみを残して、本殿付近は注連縄が張り巡らされる。夜、宮司以下はこの南口より注連縄内に入り、各本殿の前で拝礼を行う(佐太独特の礼拝方法である「四方拝」を行う)。その後、直会殿の秘儀で神々を迎え、神籬(ひもろぎ)は中殿前に安置される。その後、二つの入口は青木で閉ざされ、これ以後、神職といえども注連縄内には入ることができない。

 十一月二十五日(からさで=神等去出)(※注2)、白装束姿の神職は神籬(ひもろぎ)を奉持して、オーという警謐(けいひつ)の声が暗い山々にこだまする中を、神名火山に続く尾根の途中にある神目山に登り、秘祭を行う(※注3)。ここには日本海に通じるとされる池と呼ばれる小さな窪みがあり、ここに神籬(ひもろぎ)を載せた船を置くことで、神々は佐太神社を去っていくとされている。

 十一月三十日(止神送り=しわがみおくり)は、二十五日の神送りと同様な行事が行われる。これは帰り残った神を送る祭礼だ(佐太神社の神在祭は他社と異なり春と秋の二回行われる)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)佐太神社のお忌み祭では、神々を二十日に神迎えして、境内に忌串を廻らして人々を近づけないようにする。二十五日の神送りの夜には、亥の刻(午後十時)に斎主は神籬を捧げ、大勢の人々がこれに従い、神目山(もと神名火山)の上まで神送りする。

 神在月になると、佐陀の浦(鹿島町古浦海岸)には竜蛇が出現し、これが佐太神社に奉納されるようになった。竜蛇とは南方産のセグロウミヘビで、お忌み祭(神在祭)の頃の季節風(お忌み荒れ=晩秋、日本海に北西の風が強くなる頃、出雲の海は急に暗くなり海面は荒れて泡立つ)によって浜に打ち上げられたものだ。

 この竜蛇信仰は、海の彼方から寄り来るという古代信仰(マレビト信仰、海の果ての常世国から豊饒をもたらす神、対馬海流がもたらす南方文化への憧れと信仰)を伝えるものである。

(※注2)神在祭(お忌み祭)の最後の神事で神々を送る「神等去出(からさで)さん」の日は、特に厳重に身を慎む。迎えた神々は鹿島町の佐太神社、松江市の神魂(かもす)神社などこの地方の七社にも廻ったあと、お立ちになるが、佐太神社では「水夫(かこ)」と唱えつつ神目山(かんのめやま)頂上から送る。

 斐川町の万九千(まんくせん)神社では、十一月二十六日の夕方、梅の小枝で神社の戸を叩きつつ見送るが、かつては出雲の神名火山(現在の仏経山)で焚く火の中をお立ちになったという。このように海(あま)から迎え、山=天(あま)から送り返すところに、ものごとを循環してとらえる日本人の深層意識が読み取れる(お盆にも同じような習俗が残されている)。こうして人々は身を慎み、清らかな心で神々に接した後、もの忌みから解放され、晴れ晴れとした活力を感じるようになるのだ。

 出雲の信仰は、縄文時代の精霊信仰を継承しつつ、弥生時代の祖霊信仰を受け入れ(このときの信仰が日本人の神信仰の基本型を形作っているようだ)、今日まで生き続けて来たことになる(北九州の勢力が縄文文化との縁を断ち切ったうえで、大陸・朝鮮半島の新しい文化を取り入れたのに対して、出雲の人々は縄文文化を継承しつつ、新しい高度な文化を取り入れた人々のようだ)。

 このように、出雲から日本人の信仰の基層を見て取ることが出来そうである。小泉八雲は言う。出雲は日本の「民族の揺籃(ゆりかご)」であると。「出雲はわけても神々の国である」と。

(※注3)秘祭は二段あり、前段は頂上からはるかに見える日本海に神々を送る神事で、後段は五穀豊穣と子孫繁栄を祈願する祭りの原型らしいのだが、弥生の祭りの名残とする説もある。それと、銅鐸と銅剣が出土した志谷奥遺跡はこの山の麓である。あの青銅器はこの祭りと関係があるのかもしれない。


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◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(七)

 

 

◆島根県八束郡・佐太神社の御座替神事(七)

◆◇◆島根県八束郡・佐太神社、お忌み祭(神在祭)(2)

 現在では佐太神社の神在祭(お忌み祭・お忌みさん)は、新穀を神々に捧げるという新嘗祭(にいなめさい)と同義のものとして行われている(これはこの神名火山に新穀を捧げる神名火山祭に発祥しているからと考えられている)。しかし近世においては、当時の祭神・イザナミ命(伊邪那美命・伊弉冉尊)(※注1)(※注2)が旧暦十月に出雲で崩御し、神名火山の山塊にある足日山(当時はこの山が神名火山と考えられていたようだ)に埋葬されたと考えられていた。

 イザナミ命は神々の母として考えられていたので、当時の神在祭は、神々が母神に対する孝行のために、その崩御した旧暦十月、埋葬された近くの佐太神社に集まるのだとされていたのである。その故か、神無月の語源について、母神の無い月と考える向きもあったようだ(※注2)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)『古事記』のイザナギ命(伊邪那岐命)・イザナミ命(伊邪那美命)の神話の中に、イザナミ命が死んで黄泉の国である出雲へ行くという条がある(「黄泉比良坂は、今出雲国の伊賦夜坂と謂ふ」としている。『日本書紀』では紀伊国熊野の有馬村としている)。

 イザナギ命が諦めきれず、出雲まで追ってイザナミ命に御殿の戸を挟んで会う。イザナミ命の覗くなという言い付け(禁忌)を聞かず、イザナギ命が妻の姿を覗くと腐乱した死体があったという。この条は出雲の葬儀方法で追葬の一種である風葬の風習(日本では沖縄、奄美大島などのごく一部で行われている。出雲では、藤と竹で編んだ籠に死体を収め、高い山の常緑樹に吊るし、死体が腐って骨だけになってからその骨を丁寧に洗って埋葬する方法である)を思い起こさせる。

 『記・紀』神話には、出雲の信仰や習俗・風習を見て取ることが出来る。これは何を意味するのであろうか? 宮廷の「旧辞」に収められていた出雲の神話をベースに、淡路島を拠点とする海人族のイザナギ・イザナミの国生み伝承などを取り入れ、新たに宮廷神話(国家神話・王権神話・天皇家神話)が作られたのかもしれない。

(※注2)十月の異名を「神無月」という。一般には、全国の神々が出雲に集い神が不在になるからとされている。これが定説となったのは十二世紀の半ばだというが、異説も多くある。一つには、世界を陰・陽の二つの原理から説く陰陽説(陰陽五行説)による説で、神は陽であり、十月は陽の気がない極陰の月とされた。

 つまり「陽=神の無い月」が神無月に転化したというのである。この考え方を、具体的な神に結びつけ、神々の母であり、陰神とられるイザナミ命が(出雲で)崩御したのは十月とされ、「(母)神の無い月」というわけだ。また、神無月は「神嘗(かんなめ)月」が転化したという説である。神嘗は新穀を神に捧げる祭儀(祭礼)であるが、十月はこの神嘗のための月だったと見る説である。

 神無月の由来については、この他にもたくさんありハッキリしていない。しかし、祭礼行事を見る上では由来だけではく、祭礼に対する考え(その意識の変化)を確認することも重要なようだ。実際、出雲諸社の神在祭でも、どの説を重視するかによって、祭礼の意味や起源を窺うことが出来そうである。


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プロフィール
1200年以上の都としての伝統を持つ京(京都)は、古くから多くの人や渡来人が行き来して住みついた、長い歴史と豊かな文化を作り出してきた場所です。 ただ、この京(京都)に住んでいる人でも、どれだけ京(京都)について知っているでしょうか? 京(京都)という地域の歴史と文化と人物についてもっと理解を深めましょう!


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